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心をひとつにすることの尊さ

フリューベック・デ・ブルゴスの指揮が凄かった、巨匠の音がした、ということは書いた。
しかし、その至芸を存分に堪能できたか、というと実はそうではなかった。
私の周りに敵がいたからである。
敵とは、中国人観光客である。
ちょうど私の左隣2人の年配者と前4人の老若二組のカップルが同じツアーの客のようであった。

始まる前からイヤな予感はしていたのだが、
「エグモント」序曲が始まって、2分も経たないうちから、
前の座席の若い男が、背もたれに後頭部をつけて天井を見上げたり、頭を掻きむしったり、耳をほじくったり、時には転た寝をしたり、と全く音楽を聴いていないばかりか、常に身体のどこかを動かしており、そのすべてが視界に入ってしまう私は、まったく音楽に集中できない。

隣の老夫婦は老夫婦で、ときどき会話をしては、笑い声を上げて周囲の顰蹙を買っている。
しかし、本当に驚いたのは、「皇帝」のフィナーレ。
前列の若い馬鹿カップルが、バッグから堂々リンゴジュースのペットボトルを取り出し、2人交互に飲みはじめたのである。私が中国語を操れれば、どんなにか罵れたのに、と思うと悔しくて仕方がない。

しかし、本当に残念だったのは、マナーが悪いことではない。
もちろん、彼らの所行は最低ではあるけれど、それでも音楽を楽しんでいてくれたのなら、少しは救いがあった。
ところが、彼らには、ブルゴスにも、ウィーン響にも、レオンスカヤにも、そして肝心要のベートーヴェンにも全く関心がない。ただ、有名な黄金の間の特等席に座っていることだけに意味があるのだ。

ウィーンは音楽の都と言うけれど、観光客の街でもある。
これまでも、写真やビデオを撮影する客に何度も遭遇し、集中を削がれることが間々あった。
モーツァルトイヤーのビッグな演奏会では、バス数台を連ねた日本人団体に遭遇してビックリしたこともある。

国内の演奏会では、まあ義理で来る人もあるだろうけど、
少なくとも外国オケやアーティストの演奏会に身銭を切って来る人は、概ね真剣に聴く。
そして名演に遭遇したときには、客席に共感の輪が拡がって、感銘がより深まったりする。

音楽とは無縁の人間がいるだけで、その周辺の空気が冷えてしまうことの恐ろしさ。
人の心は目に見えないようだけれど、同じ目標を持てば初対面でも結び合うことはできる。

音楽を通して心をひとつにすることの尊さを痛切に感じる出来事ではあった。






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まとめtyaiました【心をひとつにすることの尊さ】

フリューベック・デ・ブルゴスの指揮が凄かった、巨匠の音がした、ということは書いた。しかし、その至芸を存分に堪能できたか、というと実はそうではなかった。私の周りに敵がいた...

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